名ラリードライバーを偲ぶ
つい先日3月18日に、名ラリードライバーである篠塚建次郎氏が、75歳でなくなったというニュースが流れた。
2022年に74歳で日本自動車殿堂入りをした際、「まだまだサハラを走りたい」という意欲を口にしていたらしいので、お元気だとばかり思っていたのに…
篠塚さんといえばラリー。
日本人として初のWRC優勝と、「世界一過酷なモータースポーツ競技」とも言われているダカールラリーでの優勝は、輝かしい業績と言う以外の言葉はない。
確か、WRCとダカールラリーの両方で優勝を飾ったのは、アリ・バタネン、ユハ・カンクネン、カルロス・サインツと篠塚さんぐらいではなかろうか。
それだけでも凄いのに、純然たるプロドライバーとしてではなく、三菱自動車の会社員として、この偉業を達成していることが驚きだ。
なんでも、ラリー出場は会社業務目的の出張扱いで、毎回出張申請を出していたなんて、にわかに信じがたい話も聞いたことがある。
そんな環境下で競技に参加しているにも関わらず、この偉業なのだから凄いと言う以外にない。
篠塚さんは、大学生の頃に三菱ワークスチームにドライバーとしてスカウトされ、1971年と1972に、コルトギャラン1600Lを駆って、全日本ラリー選手権で2年連続シリーズチャンピオンを獲得した後、一旦現役を引退しているのだそうだ。
一旦引退してから、その8年後にパリダカール・ラリーに参戦することになり、再び会社員とラリードライバーの2足の草鞋を履くことになったらしい。
会社員をやりながら、8年も現役から離れて、それでも世界のトップドライバー達と渡り合う走りをし続けたのだ。
もし、あと10年遅く生まれていて、全日本ラリーチャンピオンから、即WRCやダカールラリーにステップアップしていたのなら、もっと凄いことになっていたのではないかと思うのは私だけではなかろう。
そんなレジェンドを偲ぶため、本棚の資料集から在りし日の篠塚さんの激走が特集されている古い雑誌を選び、その中に収められたパジェロとE39Aギャランでの激走する篠塚さんを、あらためて見ています。